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こんにゃくが1年中食べられるのは水戸藩のおかげ?

こんにゃく芋は育つまでに3年かかります。江戸時代前期まで、こんにゃくは、秋に収穫されたこんにゃく芋をすりおろして灰汁で煮て食べるものでした。こんにゃくは寒さに弱く、腐りやすくて日持ちしないので、限られた期間にしか食べられないものだったのです。ですから、おもに僧侶が肉の代わりに精進料理として食べるほか、位の高い武士など一部の人しか口にできないものだったのです。

1700年代後半、水戸藩の久慈郡諸沢村というところに藤右衛門という農民が住んでいました。ある日、藤右衛門は、鍬で切られたこんにゃく芋の断面が白く乾燥していることに気がつきました。そこで、こんにゃく芋を輪切りにし、串刺しにして乾燥させ、曳いて粉にすることを思いつきます。乾燥させて粉末状にすれば、運搬が楽ですし、1年中こんにゃくを食べることができます。

藤右衛門の思い付きは大当たりで、当時、財政の苦しかった水戸藩を助けることができました。水戸藩はこんにゃくを粉末状にしたものを大阪に売り、こうしてこんにゃくは庶民の口にも入るようになったのです。藤右衛門はその業績を称えられて中島の姓をもらい受け、水戸藩の蒟蒻会所の会頭に任命されます。時は流れ、1860年に桜田門外の変が起こります。幕府の大老井伊直弼が17人の水戸藩士に殺害され、この事件がきっかけで攘夷派は勢いに乗り、新たな時代へと進んでいきます。この時の水戸藩士を資金的にバックアップしたのが蒟蒻商人たちだったと言われています。

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