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こんにゃく技術の発展について!歴史の豆知識! 精粉は江戸時代がはじまり?

こんにゃく芋が食用のこんにゃくとして広く一般に普及したのは、鎌倉時代のことですが、こんにゃく芋を粉にする技術はありませんでした。

精粉にする技術が生まれたのは、1776年江戸時代の頃です。現在の茨城県常陸大宮市に住んでいた農民の中島藤右衛門という人があみだしました。江戸時代は、中島藤右衛門の所属していた水戸藩に、こんにゃくの専売が許可されてことを豆知識として覚えておきましょう。中島藤右衛門は農民としてこんにゃく芋の生産に関わっていたのですが、ある時、こんにゃく芋に鍬が当たり、こんにゃく芋の表面が乾燥していることに気づきました。このことが、後々の精粉の技術に発展していったのです。

輪切りにしたこんにゃく芋を串に刺して乾燥させ、砕いて粉にしました。以前は、こんにゃく芋を潰すのにかかる労力やこんにゃく芋が日持ちしないことから、こんにゃくの生産量を上げることができませんでした。重量のあるこんにゃく芋を運んだり、売り歩いたりするのはとても大変だったでしょう。

中島藤右衛門が生み出した技術により、水戸藩は大きな財を手にすることができました。また、藤右衛門はそれまで農民だったことから名字がありませんでしたが、このときに中島という名字をもらっています。現在のこんにゃくの技術は、長い歴史を受け継いでいるのです。

茨城県久慈郡大子町には、中島藤右衛門を祀った蒟蒻神社も建立されました。こんにゃく芋を粉にする技術が開発されたことにより、こんにゃくを作る労働力が効率化されただけでなく、日持ちしないこんにゃく芋を遠方へも運べるようになったのです。

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